伊東市章

野坂オートマタ美術館

野坂オートマタ美術館 -施設情報

野坂オートマタ美術館 それは機械じかけの芸術品であり、
思想と科学の結晶であり、
そして希少な文化遺産である。
■開館時間:
 09:30〜17:00 ※入館は16:00まで
■実演時間:オートマタ数体の実際の動きがご覧いただけます。
 11:00
 13:30 ※土・日・祝日のみ
 14:30
 16:00
■休館日:
 木曜日(8月、祝日、特別展期間中を除く)
■入館料:
 大人1,000円 中高生600円 小学生以下無料
■駐車場:約20台 ※駐車料金無料
〒413-0232 静岡県伊東市八幡野字株尻1283-75
TEL.0557-55-1800
FAX.0557-55-1700
URL.http://www.automata.co.jp/
伊東市観光地図

野坂オートマタ美術館 -展示品情報

梯子乗り 梯子乗り ギュスターブ・ヴィシー 1900年
台座の中のたったひとつのゼンマイの力だけで、
曲芸師が梯子の上で片手倒立をする。
彼の力強い動きは、見るものを感動させる。
体を持ち上げる際の大きな負荷を解消するには相当の技術力が要求されただろう。

森の小鳥たち 森の小鳥たち ブレーズ・ボンタン 1850年頃
シンギングバードの第一人者ボンタンの作品。
7羽の小鳥がさえずりながら、枝から枝へと飛び回る。
中米産のハチドリの剥製などが使われており、
世界各地との交流の活発化を窺わせる。

手紙を書くピエロ 手紙を書くピエロ レオポール・ランベール 1900年
オートマタの代名詞ともいえる作品である。
ランプの炎が消えかかるにつれて、眠りだし
はっと目覚めて火を大きくし再び、手紙を書き始める…
映画の一場面のような幻想的な作品。

魅惑のへび使い 魅惑のへび使い ドゥカン 1890年
アラビア風のエキゾチックで妖しい雰囲気。
なまめかしく動く腕や腰、毒蛇。
見る者が息をのむ妖艶さに
「オートマタ最高峰の美しさ」との賛辞がおくられている。

オートマタの概要

「生命のない物体を自動的に動くようにする」というのは、太古からの人間の夢であった。
アラビアンナイトのアリババと40人の盗賊に出てくる「開けゴマ」の呪文で開く岩などその現れのひとつであろう。
実際、水力・風力・砂・火力を使って、人々は物を人の手を介さずに作動させたのである。

14〜15世紀、時計がゼンマイで作られるようになると
人々に、お祈りの時間をしらせるために時計塔のカリヨンや、
不義な行いを戒めるための恐ろしい地獄の様子を動く人形、動物などで再現して見せたのであった。
こうして、時計技師たちによって作られ始めた機械仕掛けの人形など
当時のハイテクを駆使した動く作品=オートマタは
その後、ルイ14世・ルイ16世などの引き立ての下に、時計から離れて独自の道を歩むようになった。

18世紀からの、人体の仕組みを科学的に解明しようとする動きに、
19世紀のフランスで盛んになった人形作りが合わさり
歯車・カム・ロッドなどを組み合わせて、人間の動きの忠実な再現を試みるオートマタが多く作られるようになった。

特に1851年、ロンドンで聞かれた万国博覧会以降、
博覧会でメダル(現代の科学者がノーベル賞を取るのに匹敵するほどの栄誉)を獲得し、
世に認められた事がオートマタの製作により拍車をかけることになった。
製作者たちは「より複雑」で「より見栄え」がする作品を作ることに邁進した。

これに当時唯一、音楽の再生機器であり
人々の憧れの贅沢品であったオルゴールを組み込み、更なる付加価値が生じた。
また、題材がその当時の人々の興味を惹くものであったため
今、その時代の世相や人々の関心事を手に取るように見て取れる事は、大いなる文化遺産といえる。

ゼンマイを動力源に作られ続けたオートマタであったが、
20世紀になると電気を動力源にしたものも作られるようになった。
パワーがあり、動かし続けることができる、というメリットと
商業の発達で「広告」の必要性が増した、という時代の要請が相俟って
多く広告塔=客寄せの役目を担うようになった。

二つの大戦後、オートマタはだんだん作られなくなった。
一方、複雑で精密なため壊れやすく、現存しているものは非常に少ない。
素晴らしい芸術性と高度な機械技術
一見相容れない二つの分野がみごとに一体化したもの、それがオートマタの大きな特徴である。
知る人ぞ知る、希有な美術品なのである。