函南町章

国指定史跡 柏谷横穴群

柏谷横穴群 指定値面積
 13,565.57平方メートル
指定年月日
 昭和51年02月20日
 平成10年07月31日
管理団体
 函南町
函南町教育委員会生涯学習課
TEL.055-979-1733
函南町観光地図

横穴と柏谷横穴群

横穴とは、山の斜面に穴を横に掘って墓室とした「横穴墓」のことで、古墳時代後期に盛行しました。
静岡県内の横穴は、天竜川以東の東遠地方と、狩野川流域の北伊豆に集中して分布しています。 柏谷横穴群は、東西600メートル、南北250メートルにわたって300基以上が造られたと考えられている
静岡県内で最大規模の横穴墓群です。
現在そのうちの一部が国の史跡に指定され、指定地内には200基に近い横穴墓があると考えられています。
横穴墓が造られている地質は、
箱根火山の噴火のときに流れ出た「箱根火山新期軽石流」と呼ばれる軽石を主体としているため、
横穴を加工しやすい反面壊れやすい特性もあります。

横穴墓の形と構造

横穴の形態と名称 横穴墓は、遺骸を納める「玄室」と呼ばれる部屋と、
供養祭のようなことが行われた「墓前域」
(前庭部とも呼ばれます)
玄室と墓前域をつなぐ通路の「羨道部」に分かれていますが、
時代が新しくなると
玄室と羨道の区別がはっきりしない形に変化していきます。

横穴墓と黄泉の国

横穴墓が造られた時代、人が死んだ後に行くと考えられていたのが黄泉の国でした。
玄室はその黄泉の国を現していたので、
そこでの生活に困らないよう室内には食料品や食器(土器)、身を飾る装飾品、
身を護る武具(刀や矢じり)、旅の道具(馬具)などの品々を副葬品として死者と一緒に埋納しました。
そしてその入口は、河原石を羨道部に積み上げて塞ぎ(閉塞石と呼ばれます)、
現世(この世)と黄泉の国(あの世)を隔絶しました。 埋葬された人の近親者が亡くなった場合、この閉塞石を取り除けば、同じお墓に埋葬することができます。
こうした方法で後から埋葬されたものは追葬と呼ばれます。
発掘調査では、時期の異なる遺物が出土することなどから追葬が行われたかどうかがわかります。

柏谷横穴群が造られた時期

柏谷横穴群が形成された時期は、北伊豆の横穴の中では最も古く、
六世紀末に初現の横穴墓が造られ、その後約二百年間にわたってお墓が営まれました。
一番新しい最後の埋葬の頃、八世紀末から九世紀初頭には火葬も行なわれました。

柏谷横穴群の存在意義

柏谷横穴群は、大きくは五地区に、各地区はさらにいくつかのグループに分かれています。
こうした横穴の分布は、広大な平井の丘陵上に展開された
数多くの集落遺跡のそれぞれの墓域としてとらえることができます。
そしてそこに埋葬された人は、
それぞれの集落に住んでいた人々のうちの、指導者的な人たちと考えられていますが、
亀甲片(占いに使用した亀の甲羅)が出土していることから、ト部との関連も指摘されています。 このように粕谷横穴群は、横穴を研究することは無論のこと、
伊豆国における古墳時代後期から奈良時代にかけての墓制、
集落を含めた社会制度全般の歴史を解明するうえで、極めて重要な遺跡として高く評価されています。