函南町章

国指定天然記念物 丹那断層

丹那断層 指定値面積
 210平方メートル
指定年月日
 昭和10年06月07日
所在地
 函南町畑字上乙越253-4
北伊豆地震は、
昭和5年(1930年)11月26日午前4時2分に起こりました。
地震の大きさはマグニチュード7.3、
震源は丹那盆地付近の地下O〜5キロメートル、
震央付近の震度は6という直下型の大地震でした。
函南町教育委員会生涯学習課
TEL.055-979-1733
函南町観光地図

北伊豆地震と丹那断層

家屋の被害

家屋の倒壊 当時の函南村には1,738世帯があり、
そのうち1/5強にあたる394戸が全壊しました。
倒壊した家屋は瓦屋根の家が圧倒的に多く、
トタン屋根の家はほとんど倒れなかったそうです。

死傷者

当時の函南村の人口は9,714人で、地震による死者は37人、負傷者は195人でした。
注目されるのは、震源である断層上またはその近くの畑・丹那・軽井沢・田代では
死者はわずかに2人、負傷者も28人と非常に少なかったことです。
それは、この地域の地盤が良かったことと、瓦屋根の家が少なかったためと考えられています。

丹那断層の歴史

丹那断層は、箱根芦ノ湖から伊豆市(旧修善寺町)まで続く、長さ約30キロメートルの丹那断層帯の代表的な断層です。
周辺にはこの丹那断層に近接して7つの断層が知られています。
東京大学地震研究所は、丹那盆地で3回の発掘調査(1980・82・85年)を行いました。
その結果、丹那断層は過去6,000〜7,000年間に、小さな活動も含めて9回の断層活動があったことがわかりました。 その中には『続日本後記』に記録が残されている、
承和8年(841年)の「伊豆国大地震」も含まれ、その震源が丹那断層であることもわかりました。

丹那断層のしくみと活断層

断層の中には一度大活動してその後は動かない「化石」となった断層もあります。
しかし地殻の動きにあわせて動き成長発達して、今後も活動する可能性が大きい「活断層」もあります。
丹那断層は発掘調査によって、約700〜1000年の周期で活動がくり返されてきたことがわかりました。
そしてその活動により、1000年に2メートルの割合で「左横ズレ」を続け、
約50万年前から現在までに左横ズレ1キロメートル、西側の地塊が100メートル以上隆起したと推定されています。
地球の歴史45億年という想像を絶する長い時間の中では、
「第四紀」と呼ばれる最近200万年(現在から約200万年前)はほんの一瞬です。
こうした時間的スケールでみると約700〜1000年に活動する丹那断層は、
最近、地質時代にくり返し活動してきていて、まさに活断層と呼ばれるゆえんです。

地上に残る断層の横ズレ跡

丹那断層(畑字上乙越)

北伊豆地震の時に活動した丹那断層のズレの跡を良く示す場所として、
昭和10年6月7日に国の天然記念物に指定されました。
指定地には、石組の円形の塵捨場と水路・石垣があり、
これらのほぼ真ん中を「断層」が通っているために、
地上の目印となって水平の食い違い(横ズレ)が良くわかります。
ここでは東側が北へ、西側が南ヘズレ、
その水平移動距離は約2.6メートルで、さらに西側が東側に対し少し隆起しています。
町の中央公民館には、発掘調査によって取り上げた「垂直ズレ」を示す実物標本を展示しています。

丹那断層-図 丹那断層

火雷神社(田代57番地)

国の指定地と同じく、北伊豆地震の時に活動した丹那断層のズレの跡が良くわかる場所で、
昭和56年7月25日に町の天然記念物に指定しました。
断層は、神社の石段(西側)と鳥居(東側)のちょうど真ん中を通っているため、
石段と鳥居が目印となって水平のズレがわかります。
ここでは、西側が南へ、東側が北ヘズレ、
その水平移動距離は1メートルほどですが、主に動いたのは西側(石段)のほうです。

火雷神社-図 火雷神社

丹那断層と丹那断層公園

地下観察室 敷地面積約2,400平方メートルの園内には、
断層地下観察室、休息所併設のトイレ、
断層線を表示した丹那・田代盆地周辺模型をはじめとした施設や、
大型観光バスも止められる駐車場も整備しています。 断層地下観察室では地下の断層の様相を目前にし、
休息所では発掘調査の成果を踏まえた説明板や
地震当時の写真パネルなどを展示しています。
丹那断層は、横ズレ断層の中でも世界的に有名な断層で、
平成7年に発生した阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)も同じ横ズレ断層が原因です。
断層のズレが、地震当時のまま保存された石組遺構のズレにより一目でわかり、
断層活動により起こった大地震の脅威を目のあたりにすることができるでしょう。