三島市章

三島市郷土資料館

三島市郷土資料館 三四呂人形「里子」 三島出身の人形作家、野口三四郎氏が生んだ作品、三四呂人形。
この「里子」は愛娘も桃里ちゃんが昭和10年(1935)に3歳で亡くなった後、
三四郎が亡き桃里ちゃんを偲んで
「桃子」と一緒に作られたものといわれています。 ■開館時間
 夏(04/01〜10/31) 09:00〜17:00
 冬(11/01〜03/31) 09:00〜16:30
■休園日
 月曜日(祝日の場合、翌日)
 12/27〜01/02
■入館料
 無料(但し、楽寿園入園料が発生します。 大人300円 小人50円)
〒411-0036 静岡県三島市一番町19-3
TEL.055-971-8228
FAX.055-981-3730
URL.http://www.city.mishima.shizuoka.jp/kyoudo/
三島市観光地図

展示室

企画展1階 (年3〜4回)

三島宿展 1階では、毎年いろいろなテーマの企画展を開催しています。
三島の歴史、民俗、自然などの分野から、
三島と周辺地域をさまざまな視点から紹介しています。
また、ここには三島宿の復元模型があり、
江戸時代の三島宿の様子を見ることもできます。
企画展の開催情報は広報みしま、
三島市郷土資料館のホ−ムページ等でお知らせしています。

常設展2階 三島のくらしと道具

三島は地形の変化に富んでおり、
山や畑の多い東部の錦田地区、
稲が青々と繁る平野の多い南部の中郷地区、
溶岩台地の上にある北部の北上地区、
東海道などの交通の要所となった三島宿を抱える中央部から成り立っています。 2階では、三島で生まれた「三島暦」「三四呂人形」などの文化、
また箱根の竹を使った「和傘」、豊富な湧水を利用した「紺屋」など職人の道具や、
農家などの道具を収集し、展示しています。
また、古い農家も一部を移築し復元しています。
私たちの祖先が、それぞれの環境に適応させてきた暮らしの道具と、三島に培われてきた文化をご覧下さい。

三島暦

三島暦 三島暦は、三嶋大社社人・暦師の河合家によって作られ、
鎌倉時代から明治時代まで、
伊豆国から関東地方にかけて
広い範囲で頒布されていたといわれています。

三四呂人形

三四呂人形 表紙の里子と同じく、野口三四郎氏の作品。
野口氏は昭和11年(1936)
この「水辺興談」で人形芸術院賞を受賞しましたが、
翌年結核により37歳で惜しくも早世しました。
三四呂人形は紙張子で作られ、
和紙の素朴な柔らかさを人形の表情に生かしています。

機織機

機織機 昔は、どの家にも機織機があり、
農閑期や深夜に女性たちが
家族のために衣服などを織ったりしていました。

常設展3階 三島の歴史

三島の歴史は古く、旧石器時代の箱根西麓地域より始まりました。
千枚原遺跡(千枚原)に代表される台地の縄文時代、平地で稲作が行なわれるようになった弥生時代。
奈良時代に入る頃には山裾に向山古墳群(北沢)・夏梅木古墳群(谷田・錦ヶ丘)に代表される古墳が作られました。
また、奈良時代には伊豆の国府が置かれ伊豆国分寺(泉町)が建立され、
伊豆一の宮である三嶋明神(三嶋大社)が鎮座し、人々が行き交う地域の商業と文化の中心地となっていきました。 鎌倉時代初期には源頼朝の旗挙げの舞合となり、
戦国時代末期には後北条氏の支城・山中城(山中新田)を巡る激しい攻防戦が展開されました。
江戸時代初期には徳川家康により東海道が整備され、以後江戸時代を通じ、
三島宿は東海道・下田街道・佐野街道(御殿場を経て甲斐・相模に通ずる道)の辻の宿場として大きな賑わいをみせました。
こうした三島の歴史・文化をここでは紹介しています。

扁額

扁額 明治12年に完成した
三島学校の新校舎(現在の三島市役所の地)の
玄関に掲げられていたものです。
扁額の文字は当時太政大臣であった三条実美公が西下し
沼津に宿泊した際に書いてもらったものと伝えられます。
元の書は絹地に書かれ、現在、当館に保管されています。

浮世絵

浮世絵 江戸時代後期の浮世絵画家、
歌川広重が天保5年(1833年)に38歳で出版した
「保永堂版東海道五十三次」で描かれた三島宿です。 早朝の朝霧の中、
箱根に向けて三嶋大社を出立しようとしている旅人と人足、
背後には、大社の鳥居のシルエットが描かれています。