伊豆の歴史・文化

三島 農兵節

静岡県民謡 三島 農兵節

農兵節

静岡県の数ある民謡のうちでもチャッキリ節とともに全国に知れわたっている民謡がこの「農兵節」である。
元唄は嘉永年間(1848〜1853)、すでに束海道筋で唄われていた盆踊り唄や田草取り唄などから変化したもの。 これを農兵節として取り入れたのは平井源太郎である。
平井源太郎は伊豆韮山の代官江川太郎左衛門が農兵の訓練に際し、
士気の鼓舞と団結を計るために鼓笛隊を組織したことにあやかり、
「ノーエ」を「農兵」として唄と踊りをつけて「農兵節」を作った。
歌詞は、娘小菊を断罪した当時の武家の専横をなじりながらもその怒りを風刺的に作りあげている。
画像は左から
 農兵調練場跡(三島市役所内)
 平井源太郎の碑(白滝公園内)
 農兵節

農兵節 踊り方 (行進用)

農兵節 踊り方

富士の白雪ノーエ 富士の白雪ノーエ 富士のサイサイ 白雪朝日でとける
とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ
三島女郎衆はノーエ 三島女郎衆はノーエ 三島サイサイ 女郎衆は御化粧がながい
御化粧ながけりゃノーエ 御化粧ながけりゃノーエ 御化粧サイサイ ながけりゃ御客がおこる
御客おこればノーエ 御客おこればノーエ 御客サイサイ おこれば石の地蔵さん
石の地蔵さんはノーエ 石の地蔵さんはノーエ 石のサイサイ 地蔵さんは頭が丸い
頭丸けりゃノーエ 頭丸けりゃノーエ 頭サイサイ 丸けりゃからすが止る
からす止まればノーエ からす止まればノーエ からすサイサイ 止まれば娘島田
娘島田はノーエ 娘島田はノーエ 娘サイサイ 島田は情けでとける
三島農兵節普及会
〒411-0036 静岡県三島市一番町17-1 三島市観光教会内
TEL.055-971-5000
FAX.055-971-8882
URL.http://www.mishima-kankou.com/entertain/nouhei.html

民謡「農兵節」について

韮山代宣江川太郎左衛門(坦庵)がしきりに幕府に海防の急務を説いたことは、史実に明らかなところである。
そして坦庵が管下の青年に洋式農兵調練を実施したのは嘉永三年正月のことであった。
このことは幕府の正式許可ではなく試案であったが、
旧式兵制から蘭式の新式兵制にうつったのであるから、諸藩の兵制改革論者は先を争って見学に来島する有様、
このため三島の宿役人はその応接に暇がない程であった。 訓練場は現在の三島市役所の位置、韮山代官所から鉄砲役人が出張して指導に当たり、
ついにここに我国最初の民兵が孤々の声を上げたのであるが、この民兵の訓練に行進曲が使われていたといわれている。
外国文化と進歩的発想に深い理解と研究を怠らなかった太郎左衛門は、
長崎伝習から帰った家臣柏木総蔵から珍しい音律を聴いたのである。
そして西欧風な豊かなリズムは忽ち太郎左衛門の心をとらえ、青年と歌… 調練の名案が頭に浮かんだ。
そして若い農兵達の行進歩調に合って、この行進曲は新式銃を担いだ青年の人気に投じたのである。
文久三年、坦庵の子英武の時代、幕府は江川氏の農兵調練の実益を認めて、
ここに漸く制度として法令を定め、
韮山代官支配地である武州八王子と相州藤沢の二ヶ所に調練場を新設し、大いに農兵の調練に当った。
この故事にあやかり、昭和初期に東海道筋で流行っていたノーエ節を元に平井源太郎により農兵節が作られた。
その後農兵節はレコード化され三島より各地に流行して、全国各地に広まりました。
文久三年からの三島調練場ではこの行進曲を鼓笛隊によって吹奏させ、
部隊の先頭に立てて士気を鼓舞したので、農兵節はこの時の行進曲として全国津々浦々に広まりました。